14巻にして最終話。
14巻の表紙は累の本当の顔というのも象徴的です。
累 14巻(漫画の最終回)の結末のネタバレと感想。
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醜い容姿の為に幼い頃から虐げられてきた淵累。
そして、絶世の美人女優として伝説化した累の母もまた累と同じ醜い容姿の持ち主だったのです。
母の残した口紅を使い、人の顔を借りて女優として生きてきた累ですが最終的には自らの本当の顔のままで舞台に立ちたいと
願います。
羽生田に「暁の姫」で醜い鬼女の「宵」を演じたいと打ち明ける累。
しかし、羽生田は本当の顔で累が舞台に立つのは演劇ではなく「見世物」になると反対します。
累は母である「いざな」の荷物を羽生田に渡し、その場から立ち去ります。
荷物の中には「いざな」が海道凪に宛てた手紙が入っていたのです。
羽生田はその手紙を読み、決心します。
その手紙の内容は累の母「いざな」の壮絶な人生と人生で唯一愛した最愛の男性海道凪に対する想いでした。
海道凪は口紅の研究の為に「いざな」の住む村に訪れました。
口紅を通して、海道凪を愛する様になる「いざな」。
しかし、海道凪が愛したのは村一番の美女「浪乃」。
「いざな」は「浪乃」を殺し「浪乃」の顔になって海道凪に近づきます。
しかし、皮肉なことに死者の顔は5日しか変えられない。
「いざな」は海道凪の前から姿を消すしかありませんでした。
そして、「野菊」の本当の母親である「秀世」の顔で再び、海道凪の前に現れた「いざな」。
海道凪に「浪乃」を殺したことを知られた「いざな」は絶望のあまり、自ら死のうとしますが最終的に「いざな」が助かり
海道凪が命を落とすのでした。
この手紙で羽生田は累を本当の顔で舞台に立たせることを決心したのでした。
累も母の手紙から、母の歩んだ道をかさねずに歩んでいこう。
それは美しい人の顔を借りて演じるのではなく本当の自分の顔で演じる事、母が決して出来なかった生き方をしようと
決心するのでした。
累の前に異母妹の「野菊」が現れます。
自分の顔を「永久交換」しても良いと持ちかけます。
以前の累なら、死にもの狂いで望んだであろう「永久交換」を断る累。
ですが、野菊に「あること」を頼むます。
羽生田の演出による「暁の姫」のリハーサルが始まりました。
累は「宵」役として本当の顔で登場します。
残酷な事ですが当然、本当の顔の累を見て周りの人たちはどよめくんですよね。
気にするな!累よ、覚悟してただろうと思いながらもやっぱり動揺してしまう累。
自信が持てないからか声が出ず思うような演技が出来ません。
ニナや野菊の顔を借りた時の名演はどこに行ったのかというくらいのひどい演技。
羽生田の励ましで何とか自分の劣等感を克服し演技に向き合う累。
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確かに、最初の頃に比べれば累の演技は良くなってきましたが結局本当の累の実力とはこれまでなのか・・・
ニナや野菊の「美しい」顔じゃないとあの素晴らしい累の演技は発揮できないのか・・・
「暁の姫」公演当日。
よくある話としてはスターオーラがある人ならば、練習で出来ない事も本番で予想以上の結果を出すものですが。
累の初日の公演は決して満足のいくものではありませんでした。
せっかく、累がかつて愛した人・雨野が観に来ていたのに。
いや、雨野が観に来ていたのが累を動揺させてしまったのでした。
舞台が終わり、累は雨野にまた観に来てほしいと頼みます。
「もう観ることはない」と言う雨野。
そして、消えていった女優達を追いかける事はできないと言いながら累の前から立ち去る雨野。
消えていった女優達とは「ニナ」や野菊の顔を借りた「咲朱」の事なのでしょう。
もう二度と会う事はないであろう累と雨野…
羽生田もこれは累の物語なんだと諭されます。
ニナでも咲朱でも、そしていざなでもない「累」の物語なんだと!!
この羽生田の言葉に目を覚ます累。
最終公演では、累の本当の才能を出し切った素晴らしい演技で会場は拍手の海に包まれました。
しかし、客席にいる野菊は何故か浮かぬ顔。
冷や汗さえかいてる...
思い出してください。
累は野菊のある頼み事をしていました。
その頼み事とは...
舞台を終え、会場から出てきた累を待っていた野菊と...野菊と一緒にニナの母親である「丹沢紡美」の姿が!!
そうです、野菊に頼んだのはニナの母「丹沢紡美」に全てを話すことだったのです。
「ニナの日記」を見たとつぶやく紡美。
その言葉にニヤリとする累。
紡美の手には包丁が握られていたのでした。
腹を刺された野菊と喉をかき切られた累。
累はニナの母親である紡美の手によって殺されます。
累の舞台をこれからも書くぞ!!と誰よりも累の才能を喜び認めていた羽生田は累の死にショックを受け己も発狂します。
累は死にました。
いや、正確に言うと累の顔をした「丹沢紡美」は死にました。
紡美は、最後の最後に累と「永久交換」し、死んでいったのです。
何という最高の復讐でしょう。
累は自分を殺した罪を背負った「丹沢紡美」として生きていかなければならないのです。
自分は紡美に殺されると覚悟し望んでさえいたかもしれない累もこれは予想できなかったでしょうね。
月日は流れ5年後、「丹沢紡美」である累は人里離れた場所でひっそりと暮らしています。
若くもなく、美しくもなく、人殺しという罪を背負って。
そして、累の住んでいる家の前に羽生田のうしろ姿があったのでした。
・・・読み終えてしばし沈黙してしまいました。
まぁね、今までの累の生き方を見ていれば「幸せに暮らしましたとさ」と終わる訳がないし。
前述したように、「丹沢紡美」は最高の復讐を成し遂げたなと思わず感心してしまいました。
累が「丹沢紡美」になることによって人の顔で生きてきた累が初めて累本人を渇望した事でしょう。
あの醜い顔の累に戻りたいと思わせたのは累が「丹沢紡美」になったからですもんね。
結局のところ、この作品の登場人物たちは多かれ少なかれ人を殺したり、罪に陥れたりしながら生きてきました。
やはり、犯してきた罪からは逃れられないというか報われないというのが「正しい」終わり方なのかなと。
厳しいようですが皆、不幸になるべくしてなっていった、それこそ不幸になることが「報われた」のではないかと。
その点、野菊は割にハッピーな感じだけど。
最後になぜ羽生田は「丹沢紡美」こと累の家のいたのでしょうか?
作者がここで話を終わらせたのですから推測するのは野暮かもしれませんが。
でも、予想しちゃいました。
いや、予想と言うより願望です。
累が「丹沢紡美」になった事は死んだ「丹沢紡美」と累しか知らない事実。
羽生田が「丹沢紡美」を累だと知っている訳がありません。
ありませんが!
羽生田は「丹沢紡美」が累だと知ったのではないでしょうか。
発狂した羽生田は「神の啓示」のごとく、突如「真実」を知ったのではないか。
なんとも説得力のない話ですが発狂した羽生田だからこそ知りえた事実なのではないかと。
そう思いたい。
羽生田は「丹沢紡美」の顔した累に会いに行ったと。
「丹沢紡美」を「累」と呼ぶ為に行ったのではないかと。
そう願わずにはいられないのです。
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